上部頸椎理論(HIO)に対する私的見解 まとめ

  • 2009.11.19 Thursday
  • 14:21
創始者であるDDパーマーが定義したカイロプラクティックは病気や症状を治療するといった従来の医療とは全く異なる。それは、人間が教育で得た医学知識でそれらを治療することではなく、脊椎におけるサブラクセーションをアジャストメントし、イネイトという「生命を司る内在する力」が治療する事を意味する。そして、最終的には「健全」を求めていく事となる。

残念ながらDDの時代には、このイネイトというこの世で一番優れたドクターの力に頼る術を見いだせなかった。しかし、BJの時代に入りこのイネイトの力に頼る術を見出すことを可能とした。そしてBJはその術の軸としてHIOを見出したのだ。

カイロプラクティックにおけるイネイトとは普遍的な力を持つ。普遍とは、決して変わることもないし、絶えることもない。そしてイネイトは人間においては、脳で創られ神経を経路して全身に流れているとカイロプラクティックでは考える。このイネイトの存在がなければ、あらゆる生物は生命を司る事は出来ない。ただ、このイネイトは目で見ることが出来ない。よって、「見えるもの、数値で測れるもの」しか認めない論理的な思考の人間には到底受け入れがたい事もまた事実である。

西洋医学を基にする現代医療は「目に見えるもの、数値で測れるもの」しか認めない。故に、医療=西洋医学であるという社会の常識が、人間の思考やカイロプラクティックの教育にも甚大な影響を及ぼした。よって、カイロプラクティックが社会の常識に受け入れられる為には目に見える形で「医療」という枠組みに属す必要があったのかもしれない。

しかし、カイロプラクティックの本質は脊椎に流れるイネイトという「目には見えないが、確実に存在するもの」の基に成り立ってる。この事実は誰も変える事も出来ないし、変えてはいけない。仮に変えるとすれば、カイロプラクティックを名乗る事を止め、別の名を語るべきである。

BJパーマーが生涯を賭けて追求したイネイトの力に頼る術はカイロプラクティックの哲学を臨床で表現する事を可能とした。この功績は過去と現在、そして未来にも称えられるべきである。

現在、医療の問題が益々深刻化している。これは医療=西洋医学の図式ではとても対応出来ない事を意味している。これにより、東洋医学や心理セラピーなど、いわゆる「目に見えない、数値で計れないもの」に関心が少しずつ集まっている。その中で、カイロプラクティックが光を放つ為には、病気や症状を追求する西洋医学志向を止め、イネイトによる健全を追求するパーマーが定義した原点に戻らなければならない。

そして、BJパーマーが残した上部頸椎理論(HIO)は原点に回帰する為の大きな道しるべだとストレートカイロプラクターとして断言したい。 (了)

上部頸椎理論(HIO)に対する私的見解 

  • 2009.11.11 Wednesday
  • 12:07
Δ梁海〜

イネイト・インテリジェンスという生物が生まれながらに持ちうる生命力の存在を認め、それを素直に受け入れる事こそがカイロプラクティックの本質である。残念ながら、BJがHIOで示したこのカイロプラクティックの本質を追求する姿勢は彼の死後、刻の流れと共にカイロプラクティックの業界から失われていった。

現在のアメリカを含め、世界におけるカイロプラクティックの立ち位置は非常に曖昧なものとなっている。カイロプラクティック発祥の地であるアメリカの殆どのカイロプラクティック大学で教わる事は「病気の診断」、「症状の緩和」と「医師への斡旋」である。また驚くべき事にカイロプラクティックの本質と言うべき哲学を軽視し、学生にきちんと教えない大学も存在する。そして国家試験においても殆どが現代医学の知識を問う試験であり、カイロプラクティックの哲学への理解を問う問題は皆無である。

アメリカでは医師と同等の教育レベルを求められた事により社会的にカイロプラクティックは認知されたが、その代償としてカイロプラクティックの本質を失った。そしてカイロプラクターも自らをカイロプラクティック医師と名乗る者も現れ、白衣を身にまとい、あたかも自分たちは医師と同様であると錯覚しているDCも多く存在する。更に彼らはカイロプラクティックは「治療」であると疑いも無く言い切る様になった。

これは、先に述べたとおり世の中のニーズが「症状」や「痛み」に対する治療である事に多くのカイロプラクターが「自然治癒」というカイロプラクティックの信念を貫け無かった事、世間に対して「本当のカイロプラクティックとは何か」を伝える事を怠ってきた事、そして自分たちの都合の良い様にカイロプラクティックの定義を変え、教育を変えてきた事の結果なのだ。

まとめに続く〜

上部頸椎理論(HIO)に対する私的見解 

  • 2009.10.26 Monday
  • 20:25
イ梁海〜

このHIOをカイロプラクティックの哲学を表現する理論として捉えるか、はたまた上部頚椎を治療するテクニックの一つとして捉えるかによて、大きく方向性が変わる。

上部頚椎に限定するという意味において、前者の場合は上部頚椎のサブラクセーションを取り除き、イネイトの力を身体が最大限に活用できるように導く事を意味する。そして後者の場合は上部頚椎の機能的な問題によって引き起こされる症状(頭痛、首の痛み、肩コリなど)の治療を意味する。前者はカイロプラクティックで、後者はカイロプラクティックではない。

この様にHIOは捉え方の違いでその本質と価値が大きく変わってしまうのだ。

Г紡海〜

上部頚椎理論(HIO)に対する私的見解 

  • 2009.09.24 Thursday
  • 19:08
い梁海〜

この「結果」を出さなければ、いかにカイロプラクティックの哲学を説明しても、大概の患者さんは去っていく。ここが、HIOを実践する上で最も困難な部分である。「結果」を出す事で、初めて患者さんはカイロプラクティックの哲学を素直に受け入れる事ができる。

残念なことに世の中のカイロプラクティックに求めるニーズは、明らかに症状や痛みの治療や緩和、もしくはマッサージなどのリラクゼーションである。カイロプラクティック=対症療法もしくはリラクゼーションと言った間違った形で確立してしまっているのだ。しかし、カイロプラクティックとは対症療法やリラクゼーションにあらず、「イネイトによって生み出されている自然治癒力による治療」をアジャストメントによって促すものであるという「真実」は野に埋もれた状態だ。

BJパーマーが確立したHIOとは、このカイロプラクティックの哲学を最も的確に表現している。そして現時点で、周りを見渡してもこのHIOに勝る表現方法は存在しないと言える。

「カイロプラクティックとは何か」と自問自答し、本当の意味でカイロプラクティックの本質を探っていくと、遅かれ早かれこのHIOに辿り着くだろう。

そして、このHIOをどう捉えるかによって方向性もまた変わっていくのだ。

Δ紡海〜

上部頚椎理論(HIO)に対する私的見解 

  • 2009.09.16 Wednesday
  • 15:15
の続き〜

そんな現実の世界で、あくまでも症状を追わずイネイトに自然治癒力を最大限に表現させて、後はその力に委ねるといった立場をHIOはカイロプラクターに要求する。例え患者さんが辛い症状を訴えていても上部頚椎にサブラクセーションが存在しないと判断した場合は何もせず、「イネイトは正しく
働いているので、身体に治癒する時間を与え、様子を見ましょう。」としか言わない。あくまでも治療するのはカイロプラクターでは無く、患者さん自身の持つイネイトによる自然治癒力だからだ。よって、「治療」という言葉も一切使わないし、自身も治療家と呼ばない。

そして、自然治癒とは大抵時間が掛かるので、カイロプラクターも患者さんもその事を理解して待つ忍耐力も要求される。とにかく、自分の主観と患者さんの主観を一切排除して客観的に上部頚椎サブラクセーションだけをみるという事はとてつもなく労力がいるし、患者さんの辛い心情とカイロプラクティックの理念との間に挟まれ、多かれ少なかれ心の葛藤も生じる。

そして当然のことながら、結果を出さなければならない。この結果とは上部頚椎のサブラクセーションを取り除き、イネイトに自然治癒力を最大限に表現させるという事だけではなく、患者さんの訴える症状に対する結果である。


イ紡海〜

上部頚椎理論(HIO)に対する私的見解 

  • 2009.09.15 Tuesday
  • 00:32
△梁海〜

同時に、この上部頚椎にサブラクセーションが存在してしまうと、イネイト(生命力)の力が滞り、自然治癒力を最大限に発揮できない状態になるとBJは考えた。

よって腰痛だろうが、肩こりだろうが、頭痛だろうが、膝の痛みだろうが、喘息だろうが、常に追うのはこれらの症状やそれを引き起こす原因では無く、イネイト(生命力)による自然治癒力の働きを最も阻害している上部頚椎におけるサブラクセーションとなる。

ただ、現実には患者さんの99,9%は何らかの症状を抱えてカイロプラクティックを訪れる。そして当然のことだか、それらの症状を一日でも早く治してもらう事をカイロプラクターに期待する。そんな患者さんの期待に答え、結果を出す為に殆どのカイロプラクターは症状を追ってしまう。

患者さんは治して欲しい、そしてカイロプラクターは治したいと、治療家であれば自然の成り行きかもしれない。


い紡海〜

上部頚椎理論(HIO) に対する私的見解 

  • 2009.09.12 Saturday
  • 12:55
,梁海〜

患者さんのニーズに応える事は、治療家の役目であることは紛れもない事実だが、BJはとにかく客観性を追求した。その為に、レントゲンとNCMといた皮膚の温度分析を持ちこんだ。これに対しても、多くのカイロプラクターが反論し、彼の元を去っていった。当時のカイロプラクティックにおいて、もっとも欠けていた部分は客観性を持った検査だった。いくら、「内在するイネイト(生命力)の働きによって病を治す」といったカイロプラクティックの哲学を唱っても、現実は患者さんの主観を優先して彼らが腰が痛いといえば、腰をボキボキ鳴らすといった対症療法が当たり前で、患者さんが納得いくまで毎日背骨を鳴らしていた。そして、それは患者さんの要望に応えていた為に広く受け入れられたが、カイロプラクティックの理念である「自然治癒力によって行われる根本療法」ではなく、患者さんの主観に合わせたカイロプラクターによる対症療法の域を出なかった。

BJ自身も同様の行為を行っていたが、彼はカイロプラクティックの哲学と臨床の矛盾を常に感じていた。そこで、その矛盾を払拭する為に哲学における「イネイト(生命力)の存在」に着目し、その力の源を探す日々に明け暮れた。そして、彼が辿り着いたのが上部頚椎だった。

この上部頚椎は自律神経などを調整する生命の根源である脳幹の一部である延髄を守っている。そして、この部位が常に正常に機能している事が「イネイト(生命力)が最大限に働いている状態である」と考えた。


に続く〜

上部頚椎理論(HIO)に対する私的見解 

  • 2009.09.11 Friday
  • 22:22
上部頚椎理論(HIO)はパーマー家の2代目であるDr.BJパーマーによって確立された理論だ。このHIOの唯一無二の特徴は二つある。
一つ目は決して症状は追わないという事。そして二つ目は上部頚椎(第一、第二頚椎)以外は触らないという事。(但し、この考えは後に改めている)ここで、注目すべきは症状を追わないという事だ。通常、症状をいかに治すのが治療家の役目である中で、この考えはとてつもなく大きなインパクトを与えた。そのため、多くのカイロプラクターはこの考えに賛同出来ずに彼の元から去っていった。この症状を追わないという事は主観を一切排除する事を意味する。

常に客観的に患者さんを見て行かなければならない。それが鉄則だ。

△紡海〜




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